超曲解!『薩摩の退き口』〜中編〜
「者ども!聞けぃ!このつまらぬ戦はもう終いじゃ!だが、殿ある限り、島津は決して負けぬ!」
豊久が檄を飛ばす。
「皆、命を捨てよ!命を捨てて殿をお守りせよ!死して薩摩隼人の武を示せ!」
「おぉー!」
「すまんな…。皆の命、俺がもらう!」
「うぉー!!」
もともと忠義に篤く、結束の強い薩摩軍の中でも
義弘に心酔し集まった精鋭部隊。
義弘死守の一念に、彼らが火の玉と化すのは
容易かった。
「とくと見よ!東武者ども!これが島津の退き戦よ!!」
義弘の軍配が指し示す先は、家康、本陣。
何と島津軍は、前に向かって退却するという
前代未聞の退却戦を開始。
これが世に言う、『島津の退き口』である。
この時、家康本隊の勢力、およそ3万。
島津軍、300。(1000人とする説もある)
本隊ど真ん中へ猛進撃を開始した島津隊は
まず前衛部隊である福島正則隊に突入。
「何をしておる!追え!追わぬか!」
虚を突かれ突入を許した福島正則は
慌てて追撃の下知を飛ばす。
「お待ち下さい、殿!深手を負いますぞ!」
「何を言う。相手は小勢であろうが!」
「小勢と言えど、あの島津義弘。しかも奴らは死兵と化しております。深追いは無用にございます!それより体勢を立て直すことが先決かと!」
「ぐぬぬ…島津めがぁぁ!」
福島正則隊を突破した島津軍の進む先には
家康本陣があった。
「何ごとだ!なんだあれは!」
「島津です!薩摩の島津義弘にございます!!」
「島津だと!?奴ら正気か…。ええい、怯むな!島津を蹴散らせ!」
あまりに想定外の事態に混乱を極める徳川軍。
合印、旗指物など全てを捨て、
『義弘死守』のもと一枚岩となり、
決死の覚悟で突っ込んでくる島津軍を
止めるのは容易ではなかった。
「何をしておる!早ようせい!早よう奴らを止めぬか!!」
たじろぐ敵兵をなぎ倒しながら、
島津軍はついに家康本陣の目と鼻の先まで
迫っていた。
「伯父上、どうする?家康の首、今なら獲れますぞ。」
「無駄だ、豊久。戦の勝敗はすでに決している。もうここらでよかろう!行くぞ!」
ここで島津軍は本陣を目前にして突如転進、
薩摩めがけて伊勢街道をひたすら南下し始めた。
「…なんだあの動きは…。」
あまりにも予測不可能な挙動に、
家康は呆然と見送るしかなかった。
この退却戦で、薩摩軍は東軍を恐怖に陥れただけでなく
天下にもその武勇を知らしめることとなる。
しかし、やはり家康は甘くなかった。
薩摩への路をひた走る義弘たちを待ち受けていたのは、
徳川軍による執拗な追撃であった。
「徳川を侮る真似、決して許さぬ。草の根をかき分けても探し出せ!必ずや義弘の首を討ちここへ持て!」
本田忠勝、井伊直政、松平忠吉。
錚々たる猛将たちの猛追撃によって
島津軍はみるみる兵を減らしていく。
「さすがは徳川の猛者ども。ただでは帰してくれぬか。」
「伯父上、ここは俺が。」
「豊久…逝くか。」
「なあに。こうるさい徳川の犬どもと少し遊んで参ります。急ぎ追いつきますゆえ、どうかお先に。」
「豊久…すまん。」
隊を離れた豊久は13人の兵を引き連れ、
遠くなる主の背中を見送った。
「伯父上…。どうかご無事で。」
喧騒が去り、ひぐらしの鳴く声が聞こえる。
この静寂も束の間だろう。
間も無く追手がここを通る。
豊久は薩摩の方角へ深々と一礼すると、
「さあて…やるか。者ども、派手に踊るぞ。」
残った13人の薩摩武者は黙ってうなずくと、
ゆく手を塞ぐように道端に並び、
あぐらをかいて座りこむ。
「弾込めせよ。」
遠くから聞こえる喧騒と共に、
尻に馬脚の振動が伝わってくる。
敵は近い。
「構え。」
すでに薄暗くなった山中のはるか向こうから
ほのかに追手の先陣が見え始めた。
13人の銃口は真っ直ぐにそれを捉えている。
あぐらをかいているのは、狙いを定めるためだ。
逃げる気など、毛頭ない。
「放てー!!」
豊久たちの銃は追手の先頭を次々と正確に射抜く。
「薩摩か!どこだ!」
銃撃を受け落馬した追撃隊の大将、
井伊直政に向かって豊久が叫ぶ。
「徳川の犬よ、聞けぃ!我こそは島津惟新入道義弘じゃあ!この首とって冥土で手柄を語るがよい!薩摩のもののふども、かかれぃ!!」
「ウォォオォーーー!!」
『捨て奸』別名、座禅陣。
この時、島津軍が用いた戦法である。
数名の足止め隊を退路に残し、その名のとおり
あぐらをかいた状態で座らせておき、
まず指揮官を狙撃。
その後、槍で突撃し死ぬまで戦い、足止めする。
これが全滅するとまた新しい足止め隊を残す。
これを繰り返して本隊を逃げ切らせる、という
凄まじいトカゲの尻尾切り戦法。
高い銃の装備率と射撃の腕、さらに勇猛果敢な
薩摩武士だからこそ効果的に運用できたと
言われている。(また、この退却戦で行われた捨て奸はほとんどが志願者だったと言われている)
「こいつは…。義弘ではない!」
豊久との乱戦で重傷を負った直政は
吐き捨てるように言った。
「死して主君の身代わりとなったか…。敵ながら、何というもののふよ。」
島津豊久。
義弘に付き従い、相棒として数多の戦場を
駆け巡った男はここで力尽きた。
薩摩武士の勇猛と剛毅を体現した彼の最期は、
無数の槍に突き上げられ、何度も地に
叩きつけられるという壮絶なものだった。
豊久をはじめとする薩摩兵の決死の抵抗は
井伊直政、松平忠吉らを負傷させ、
義弘が落ち延びるための時間を稼ぎ出した。
一方、義弘率いる島津本隊は海路での
脱出のため、堺を目指していた。
多くの犠牲を払いながらも、一心不乱に
堺へと馬を飛ばす島津軍。
しかし、これに対する徳川軍の追撃は、
さらに激しさを増していった。
「殿…ここらで。」
義弘の側近であり島津家家老、長寿院盛淳が
義弘に声をかける。
「そうか…やはり無理か。なら俺も腹をくくろう。」
「いえ。お別れにございます…玉林坊!」
「はっ!」
「ここからはそちが殿を傍でお守りいたせ。いざとなれば殿を担いで山中を突破せよ!…それから、殿。」
「なんだ。」
「殿の陣羽織と軍配、餞別にいただけませぬか。」
「盛淳、お前まで…。」
盛淳は笑って言った。
「何としても殿は薩摩へ。それが我々の役目にございますれば…。皆の者!殿を頼んだぞ!」
盛淳は義弘の陣羽織を身にまとい、金塗りの
軍配を手にとると、本田忠勝率いる追手の前に
堂々とその姿を現した。
「出たかっ!惟進入道!」
「我こそは惟進入道義弘なり!我と対峙しおめおめと家康のもとに帰れると思うな!まとめて冥土の道連れにしてくれる!」
盛淳と兵士たちの奮戦は凄まじく、
再び徳川軍の追撃は停止を余儀なくされた。
「…もはやこれまでか。」
命尽きかけた盛淳はドカッとその場に座りこみ、
最期の力を振り絞り、叫んだ。
「この島津兵庫頭義弘、道尽きてここに腹を切る!徳川の犬どもよ、この首獲ったなどと奢るでないぞ!!」
「…殿。生きて薩摩へ…。」
※※
「首を検めろ!」
「忠勝様、これは…。」
「…またしても影武者というわけか。」
「忠勝様はご無事で!」
「馬をやられたわ。…もうここらが潮時のようだな。」
「はぁ…しかし、馬ならばいくらでも…」
「もうよいと言うておる。武士の情けよ。殿もお許し下さるだろう。それにしても…。」
「…?」
「実に見事な散り花。武士とはかくありたいものよ。」
この追撃戦によって井伊直政をはじめ、
すでに多くの犠牲を払っていた徳川軍。
これ以上の消耗は危険と判断した家康は
本田忠勝の進言もあり、ついに島津軍の追撃を諦める。
満身創痍の島津軍は、ついに堺にたどり着く。
義弘は、大坂で人質となっていた妻子を救い出すと
海路薩摩へ。
この時、島津軍、わずか80名。
苦難を極めた退却戦は、終わりを迎えようとしていた。
(後編へ。笑笑)
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